たまには父親孝行でも
祖父は小さいながら広告会社を興し、70代後半に経営を退くまで経営者として成功した人でした。戦争でフィリピンで捕虜となり、ずっと行方不明となりながら生還しただけあって、体はタフで気は強く、頑固でいながら切り替えは早かった。初孫の僕にはたまに厳しかったけれど、かなり甘く、子供の頃は真剣に遊んでくれたし、大きくなってからも色んな面で援助してくれました。お陰で色々な経験をさせてもらいました。そうそう、短気で癇癪持ちの血は、しっかり受け継がせてもらいました。
これで、おじいちゃん、おばあちゃんと呼べる人がみんな鬼籍に入ってしまいました。無条件に甘えられる存在がいなくなってしまったというのはなんとも寂しいです。
代わりに自分の両親が、完全におじいちゃん、おばあちゃんになっています。僕にはあんなに厳しかったのに、僕の子供達に対して甘いこと、甘いこと。褒めてばかりでどうしちゃったんだろうと思います。
父は会社を定年退職してもうすぐ5年。多趣味の僕と違い、飽きっぽいために趣味といえるものがテニスくらいしかなく、そのテニスも、体の衰えは隠せないようで、あそこが痛いここが痛いと悲鳴をあげるようになっており、リタイア後は大丈夫かいな、と心配しておりました。実際、しばらくは時間を持て余しているように、トドのように横になって昼間からテレビを見ていました。
その父が、一念発起して本を自費出版すると言い始め、添削してくれとその原稿を渡してきたのが3年前のこと。今まで文章を全く書いて来なかった人の文は、とても読めたものではありません。主語と述語がつながらない、句読点は無茶苦茶。「これから冗談を書きます」という書き出しで、いったい誰が笑いますか。
そんな大量の駄文を、文学部出身で、かつて遠藤周作先輩の再来とまで言われた僕が(言われてへん、言われてへん)、夜な夜な丁寧に直し、さらにプロが校正をかけてくれてできあがった本、『チーフパーサーの国際線航空記』(樹心社1575円)。収支がトントンになる800部なんて捌けるわけがないと予想していたのに、お陰様で増刷となったばかりか、それが元で、最近では故郷今治で講演会を頼まれることまで出て来て、すっかり本人作家気取り。あのダジャレのセンスのなさを思うと、彼へのトークの依頼は完全な人選ミスで、代打で僕が行くべきなんですが、本人の気の乗りようは相当なもの。今日もそうでしたが、会う度に得意げに話してきます。家でふさぎ込むことがなく、母をはじめ、家族一同、大変助かっております。
その本の内容は長くなるので、今日はご紹介だけ。そうそう、表紙をはじめイラストは僕の嫁さんの手によるもの。扉画にさりげなくきのこが描かれているのは、もちろん彼のことを考えての父からのリクエストです。
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