幸せ、とは

彼と僕の荷物は、チームメイトと保護者の方々がまとめ、しかも預かって下さることになり、僕は貴重品だけ持って救急車へ。車内では、息子は受け答えはできるものの息苦しそうでした。頭を打っているので、診てもらえる病院が限られる、近くの病院で断られたら住まいの成田に近い所を探すとの説明でしたが、1時間近くかかる距離なのでとにかく早く診てほしい、と希望。幸い15分くらいの慈恵医大附属柏病院が受け入れてくれました。僕はコロナ対策のため、救急入口の控え室で待機することに。頑張れカンタ、戻ってきてくれ、と願うばかり。
やがて中から先生が出ていらして、「脳内の出血はありません、ただ、頚椎に骨折の疑いがあるので、MRI検査をしたい」と言われた時には、気が遠くなりそうでした。頚椎の骨折って...。やはり元には戻らないの?自身の部活の大事な行事でスーツ姿で大学にいた長男ショーゴにも連絡し、その日の予定をキャンセルして東京の僕の両親の家にスタンバイしてもらう等、この後サポートをお願いする可能性がある人達への連絡をしながら、時折スマホで「頸椎、骨折、治る」等、色々と調べますが、良くない情報しか出てきません。救急車の後を追って、保護者仲間のお父さんがまとめた荷物と共に駆けつけて下さいましたが、彼が、優勝候補筆頭と当たるご子息の試合も放り出して、側にいて下さったのがとても助かりました。お互いの息子の高校剣道部入部以来仲良くなったお父さんですが、同い年であること、考えていることに共感し合えること、尊敬していることもあって、とても仲良くさせてもらっているお父さん。彼とたわいもない話をして過ごしていなかったなら、とても正気ではいられなかったのでは、と。控え室で2人、ひたすら祈る気持ちで待ちました。
搬送されてから3時間近く経ち、先生から説明があります、と促されて中に。ベッドの上のカンタは、意識はしっかりしていましたが、

万一に備えて経過観察のためそのまま一晩入院することに。体を固定していた器具類を外し、まだ着ていた胴着・袴から医療用パジャマに着替え。看護婦さんの手を借りつつ、痺れているという手足をおっかなびっくり動かしているうちに本人も少しずつ大丈夫だという意識になったようで、

長男が知らせてしまったため、入院の手続きをしている間に彼らの母親、つまり元嫁がやってきました。離婚前に彼女が家を出て行って以来8年半も話したことがなかったのですが、話さざるを得ない状況となり、ひと通り状況を説明、せっかくなので入院の保証人欄にも署名してもらいました。院内で歯ブラシを購入してくるのを頼んだだけなのに30分以上帰って来ず、飲み物や食べ物を色々と買ってきてくれたはいいが肝心の歯ブラシを忘れる等、結婚生活をしていた間僕を悩ませ続けた天然ワールド全開でしたが、もはや僕にそれを捌く気力も残っておらず。元夫婦の全く噛み合わない準備と会話に、首に響くからやめてくれとカンタの顔にも笑みが出始めたところで病院を退散。彼女の車で大会がすでに終わった会場に戻り、別れた後、僕はグッタリした体を押して成田に戻りました。
その後は、1人、夜まで放心状態でした。いや、それから、近くから撮影された動画を目にしたりそこから色んなことがわかってきてしまってから、僕の気持ちは揺れるばかり...。


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