NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』が始まりました。
僕は毛利元就、小早川隆景親子、そしてその敵方にいたこの黒田官兵衛といった、武略でよりも知略で勝ち、しかも敗軍の兵でさえ活かそうとする戦国大名が贔屓。なので、この先1年楽しみです。

子供達ももともと時代劇好きの上、去年まで飼育していたクワガタに官兵衛と名づけていたくらいですから、一緒に。初回、2回目と視聴率は高くなかったようですが、なかなかどうして面白いスタートでした。そのドラマに感化され、姫路や博多の旧跡各所を巡りたい、でも当面無理だなぁなどと考えていたところ、そうだと思い出し、我が家から4キロ程のところにある
本佐倉城跡へ家族で散歩に。
本佐倉城は、1500年代の約100年間、関東の有力大名千葉氏の居城でした。恐らく黒田官兵衛の出仕していた御着城と似たような規模、造りの城ではなかったかと思います。16世紀後半の千葉氏は、小田原の後北条氏の支配下にあり、官兵衛の活躍による小田原城落城と共に千葉氏も滅亡、この城は徳川の手に渡り、その後早々に廃城となっています。近年になって漸く発掘や整備がなされてきているものの、
建物の類いは何もなく、公園と呼ぶにはまだあまりにも地味な城趾。京成本線からも全景がしっかり見えるのですが、そのくせなかなか気づかれない、あるいは気に留められていないそんな存在で、実際僕もこの界隈に10年以上住んでいながら、つい最近まで訪れたことがありませんでした。一応、千葉県の城趾では唯一の国指定の史跡のようなのですけれど。

城内には発掘作業時の写真をもとにした説明板が随所に掲げられています。残念ながら実物は調査後に再度埋められてしまっていて、ロープで輪郭を見ることができるようになっているだけ。せめて城主の屋敷だけでも復元されたらいいのに、と思いますが、土地の多くを所有する酒々井町の財政状況を考えるとこの先も難しいところでしょう。
一番の見所は虎口の数々。城への出入り口のことですが、
それぞれに人工的に作られた変化や門の跡が残っています。
中でも、京成本線側に面した東山虎口は狭い切り通しになっていて今なお迫力があります。その上には当然見張り番がいたはずで、実際、今も眺めはなかなか。60キロほど離れた筑波山を望むことができます。城の健在時は京成の電車が走っているあたりまで印旛沼が広がっていたといいますから、水面に浮かぶ島のように見えたのではないでしょうか。


夏になれば虫や茸も見つけることができて自然観察に楽しい場所ではないかと思いますが、真冬の今は何もありません。実際、僕ら以外に散歩していたのは3人だけ。が、
かえってその寂れているところが無常観を感じさせて良いのかもしれません。
武士に憧れる息子達は、唯一復元されている矢楯を前にして俄兵士となって草地を駆け巡る一方、

僕は400数余年前に確かにあったはずの人々の息吹を探るような気持ちで、冬枯れの木立の中をゆっくり散策。
彼らは何を考え、何を目指し、何を生き甲斐に生きていたのだろう、などと思いを巡らせました。決してスピリチュアルなものを信じているわけでもなければ、かといって否定するつもりもない曖昧な僕ですが、そんな僕にもあれこれ思いを巡らせてくれる力がある古城の跡地。
新生活でずっと気持ちが張りつめている中、少しリラックスできました。※本佐倉城跡へは、京成酒々井駅もしくは大佐倉駅から徒歩で15〜20分。詳しい案内は
こちらを。



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Posted on 2014/01/18 Sat. 20:43:49 [edit]
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